(その2)キャンベラからメルボルンまで

 オーストラリアの首都キャンベラ。ここではシドニーで紹介された家族宅に1週間お世話になり、街を見て回りました。ここにあるオーストラリア国立大学のキャンパスは、公園のように美しく、とても印象的でした。当時、大学生であった私には、その環境を羨ましく思ったことを覚えています。
 又、戦争記念館に行った時のことも忘れられません。最初の展示物が、第2次大戦中の日本軍関係のモノだったのです。旧日本軍兵士の人形やシドニー湾に突如表れた日本海軍の潜水艦、ノーザンテリトリー準州のダーウイン空爆の写真などでした。日本の教科書では教えられなかったものの、渡豪前に本を読んで知ってはいましたが、最初の展示物が旧日本軍関係だったことにはショックであり、歴史を深く学ぶ必要性を改めて感じました。

  キャンベラからは、メルボルンを目指して一路南へ。メルボルンでもやはり紹介された家族宅にお世話になり、街をゆっくり見て回りました。この頃、オーストラリア人の家には一つの共通点があることに気付き始めました。それは、オーストラリア人の家には時計が見当たらないことです。これに気付いてから、少し私もリラックスすることを覚えました。また、ゆっくり歩くことも覚えました。
 そして、メルボルンからフェリーに乗って次に目指したのは、人々がもっとゆっくり歩いていると言われるタスマニア州(島)でした。

Upload:1999年   Update:24 May,2006

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オーストラリア・オートバイ・ツーリング日誌 
 1985年秋〜1986年春

in English
6年越しの夢からスタートまで(その1)
タスマニア州にて(その3)
コアラ生息地にて(その4)
ツーリングを終えて(その5)