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地震被災地の介護対象者宅訪問(岩手県山田町)

(2011年4月18日午前)



 

  自粛ムードに一考 支援物資提供のお願い 集まった支援物資 物資を山田町へ 介護対象者宅訪問
 沼崎喜一町長と面会 文房具などを小中学校へ 織笠コミュニティーセンター 写真集・被災地山田町 まとめ

 
 私は出発前、「介護用品は足りている?」と町職員に尋ねました。その結果、厚木市民から預かった物資調達資金からポータブルトイレ3つと防水シーツ10枚を購入、山田町災害対策本部に届けました。介護は私の関心分野。介護用品不足は表にはでていない情報でした。他にも日常生活で困っている不足品はあるはず。支援の参考になれば幸いです。

 最初に、大沢地区の女性宅を訪問。ご主人が津波で他界したそうです。帰省していた息子さんによると、地震の最中にすぐ電話し、父親から「大丈夫」と言われたものの、その後、父親が津波で亡くなったことを1週間後に知ったそうです。携帯電話が一週間、不通(NTT回線は今も不通)となったためです。
 3月11日の夕食は、大沢小学校にておにぎりが一人一個。250人以上が避難。皆で持ち寄った物で食べつないだとのこと。家がなく、家族が不明な避難者は今も次の行動が取れないそうです。 
 現在、下水道は使用不可。水洗トイレであったため、隣人が仮設トイレ(右写真)を外に作ってくれました。その隣家トイレは汲み取り式。そのまま使えるそうです。また、「周囲で地震により家が壊れた話は聞かない。津波で被害を受けた」と述べていました。1ヶ月間、沢の水を使用したそうです。買い物は、宮古市まで行かないと買えないことが不便。厚木市民から預かった米や子供用カレーなどをお渡しし、周囲の人にも配って頂くことにしました。


 独居男性宅(介護度2)を訪問。認知症のようです。家の中のあちこちにお小水の形跡。偶然、ヘルパーが居合わせました。数百メートル先では、大火事が発生した地域です。ヘルパーの仕事は尊いです。その男性宅は食料が不足しているそうです。厚木市民から預かった米やキャベツ、ラーメン、調味料などを差し上げました。そのヘルパーは若干、涙腺が緩んだかにも見えました。


  家が燃えたものの、助け出された寝た切りの女性(介護度5)とご主人に面会しました。海水が浸る中、エアーマットで難を逃れたそうです。息子さん宅に同居となりました。
 厚木市民から預かった食料品をお渡ししました。


 


  1ヶ月間、停電。断水も経験。3月11日以来、お二人(介護度2と5)の入浴は二回。地震の被害はなし。海水面から2030Mはある家。海水が家に上がる階段まで来た。車や船も流された。周囲に店がない。ここ数日で始まった移動販売を利用している。トイレは汲み取り式なので問題ない。停電は1ヶ月後。不便な1ヶ月だった。その間、防災無線もなかった。車は津波により目の前で流されたそうです。ホタテ養殖の仕事も喪失。


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アップロード:2011年4月20日