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弱者に政治の場から手を差しのべたい
悩みを抱える人や弱者のために生きる。これが政治に携わりたい原点です。 |
地域で活動しながら、地球のことを考える
Think Globally, Act Locally |
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身近な自然環境を大切にしましょう。厚木の豊かな自然を次世代にも引き継いで行きましょう。私はまた、国際交流や環境教育にも力を入れていきます。 |
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1964年 神奈川県横須賀市で育つ
1987年 東京国際大学商学部卒業 学生時代は、朝刊夕刊を配達する新聞奨学生
都内の貿易商社営業マンを経て
1995年 厚木市議会議員初当選(2003年まで2期8年)
2003年 高齢者のための在宅医療福祉に従事(2007年3月まで)
2007年 厚木市議会議員3期目当選 |
幼い頃から祖父と19時からのNHKテレビニュースを一緒に観ながら、時の首相名や政党の構成などは知っていました。これは私が政治に関心を持つ最初のきっかけであったといえます。テレビでアニメを観る私に祖父は「NHKのニュースだけはみせてね」と言っていました。又、小学生の頃から新聞を読み始めました。
1995年、厚木市議初当選。当時参議院議員であった國弘正雄氏並びに、その周辺の人からの薦めがありました。当選に必要と言われる、じばん(基礎票)もかんばんもかばん(お金)はなくても、大きな志はありました。「それを感じてくれる人は必ずいるはずだ」と自らを鼓舞しました。選挙スタイルは、組織に頼らず個人的な支援者によるものです。 |
| 祖父の従兄弟が参議院議員 |
私の祖父従兄弟が参議院議員だったそうです。これは、私が厚木市議初当選後、叔母から初めて聞かされたことでした。その名前は「高田寛
たかだひろし」だったそうで、驚きを禁じ得ませんでした。
調べたところ、高田寛参議院議員(緑風会)は、戦後初の参議院議員選挙(1947年)に国鉄の応援を得て東京選挙区から立候補、当選。参議院運営委員長にも就いています。私も厚木市議会において、議会運営委員長になったことがありました。 |
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左の高校生が私です。百万人の英語主催「ライシャワー博士(元米国駐日大使)と國弘先生を囲む読者の会」にて。右はハル婦人。
青雲の志
英語が好きだった私は、「異文化の架け橋にはなりたい」と思いました。私はこの志を国際交流を通じた教育などに活かして行きます。 |
upload:May1997
last update:2 May,2008 |
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