クインビヤン市におけるスピーチ
クインビヤン・カンファレンス・センター
オーストラリア ニュー・サウス・ウエールズ州

2006年10月20日

 以下は、私のスピーチの日本語訳です。私のオーストラリアとの関わりの一端や琴演奏会実現に導いた関係者への謝辞を述べました。
 また、来年選挙に立候補する点にも触れたところ、笑いが取れました。これは、Laughing at your own expense(あなた自身の損失において笑いをとる)。英国的なユーモアです。つまり、私の2003年の落選を題材として笑いをとりました。



 皆さん、こんばんは。私は高田浩と申します。日本の神奈川県厚木市から来ました。厚木市は、東京から60km南に位置しています。今夜、この場にいることを大変誇らしく思います。昨年10月、私は偶然、インターネットで2006日豪交流年に気がつき、何かを企画したいと思いました。そして、厚木を中心に活動している琴グループが心に浮かんで来ました。リーダーに提案したところ、その反応は前向きでした。その結果、オーストラリアにおけるコンサート実現は、 私たちの夢となりました。
 今夜、私はフランク・パンガロ市長に陶器の香盆を差し上げる機会を持ったことを大変嬉しく思っています。

TAKADA TV

Speech in Australia
 私がこれを持参したのには理由があります。その香盆は、三木睦子夫人により制作されました。三木睦子夫人の夫は、1976年に日本の首相であった故三木武夫氏です。そのため、1976年締結の日豪友好協力基本条は、三木武夫首相(当時)が署名しました。私は女性の年齢に言及することにためらいを感じますが、東京に住んでいる三木睦子夫人は現在89才です。三木夫人は60才になってから陶芸の制作を始めました。
 私は三木睦子夫人とは10年以上前から親しくしていただいています。私は8年間、厚木市議会議員でした。私が1995年、初めて厚木市議会議員選挙に挑戦して以来、三木夫人は私の推薦人であります。日本では地方議員の任期は4年です。私は2003年の3回目の選挙で再選を果たすことが出来なかったため、今は厚木市議会議員ではありません。次の選挙は2007年7月中旬に予定されています。ですから、2007年7月になりましたら、私の名前「高田浩」を思い出して下さい。

 2006日豪交流年が何故、私を刺激したのか、その理由をお話ししましょう。私が大学生だった頃の1985年から1986年の半年間、私はオーストラリアをオートバイで時計回りに一周しました。合計31,500kmの旅でした。そのため、ベイツマンズベイとキャンベラの途中、クインビヤン市にも立ち寄っています。その半年の間、私は沢山の親切な人たちに会い17軒ものご家庭に泊めていただきました。その内の何人かはキャンベラより今夜、このコンサート会場に来ています。

 実際、今夜キャンベラから来た女性には、初めてのお子さんが私が泊まったときにいました。その男の子は、生後6ヶ月に達していなかったと記憶しています。私には今、二人の子どもがいますので、その時彼女がどれだけ大変であったか以前よりもわかります。また、シドニーで泊めて下さったご家族も今夜、この場に来ております。私は彼らに感謝の意を表したく思います。有り難うございます。

 また、クインビヤン市文化推進部クレアー・マーロウさんにも感謝いたします。コーディネーターとしてご尽力いただいたモコ・イーデさん、有り難うございます。
 駐日オーストラリア大使館でかつてナンバー2の地位にあったトレバー・ウィルソンさん、このコンサートが実現できたのは、あなたが素晴らしい総監督であったためです。その他、このコンサート実現に努力した全ての皆さんに感謝します。

 最後に、このコンサートが皆さんにとって何かの刺激になることと、二国間の友好強化となることを希望致します。有り難うございます。


Upload:27 October,2006